SSブログ
メンバ-全員写真.JPG

東日本大震災から9ケ月目(2011.12.11)に開催した東北復興応援チャリティー・コンサートTama・Tokyo Action~冬の章~に参加した4団体(OH!ジーンズ(主催)/エスニック・キッチンROSSA/日本の踊りを習う会)は、その後も、それぞれの音楽活動を通じて、復興応援に取り組んでいます。

OH!ジーンズと日本の踊りを習う会が、東北応援CDを作りました。
エスニック・キッチンが結成5周年を記念して、東北応援CDを作りました。
東北応援CDについてのご報告~売上金全額を「仙台つどいの家」に復興義援金として寄付しました

3.11から丸10ケ月、そして1.17からもうすぐ17年 [◆トピックス]

2011年3月11日の東日本大震災から、今日でちょうど10ケ月。
被災地の新成人の力強い言葉に感動しつつ、私は1月の10日過ぎのこの時期になると、毎年、足がすくむような緊張感に襲われます。
1995年1月17日、あの阪神・淡路大震災からもうすぐ17年。
あの日、私は、夫の転勤先の兵庫県西宮市で被災。西宮も震度7の激震にみまわれ、街は壊滅しました。

それから16年たった去年、2011年の春、東北地方に住む大勢の親戚が、東日本大震災で被災しました。
そしてこの東京も、地震の揺れによる直接的被害は比較的小さかったとはいえ、原発事故による計画停電、夏の過酷な節電、そして今なお深刻化し続けている放射能汚染によって、東日本大震災の被災地だと言えるのかもしれません。

16年の間に日本を襲った二つの大震災。
どちらも大震災と名づけられながら、方や直下型の局地的激震、方やプレート型の広域的巨大地震。
その被害の様相はかなり異なったものでした。

東日本大震災の死者の圧倒的多数は津波によるもの。
津波被害の大きかった沿岸部において、地震そのものによる家屋の被害は皆無ではないにしても、地震で倒壊した家が極めて少なかったことは、むしろ驚きでさえありました。

地震そのものでは命を失わなかった人々が、もっと早く高台に逃げていれば、津波で命を奪われた人は、もっともっと少なかったはず・・。
誰もがそんな風に感じていると思います。

でもこのことが、実は知らず知らずのうちに、大事なことを風化させているのではないか。
そんな危惧を抱いているのは私だけでしょうか。

津波が来る恐れのない場所は、それほど心配することはない。
そんな空気が、阪神大震災の教訓を風化させてはいないでしょうか。

阪神大震災は、逃げるヒマのない地震災害でした。
死者の圧倒的多数は、圧死。そしてその大多数が即死に近いものでした。

地震から人の命を守る術は、家が瞬時に倒壊しない程度の補強を最低限行うこと。
家の中の大きな家具を倒さないよう固定すること。
火を出さないこと。都市部においては延焼を防ぐこと。延焼しない構造の街をつくること。
都市部においては、災害直後、車で避難しないこと。緊急車両を優先するために、自家用車を走らせないこと。

同じ地震でも、17年前の大震災は、性質の違う災害でした。
17年目の1.17は、その教訓をもう一度思い出す日にしたいと思います。

片方を忘れてしまったら、なんにもならない。
nice!(22)  コメント(4) 
共通テーマ:音楽

nice! 22

コメント 4

コメントの受付は締め切りました
kawasemi

nice&コメントありがとうございます。
ロープロを始めた時かな入力をしてしまいましたので、未だローマ字入力に変えられないままです。
by kawasemi (2012-01-12 11:39) 

リン

どちらの震災も遠くの地で起こり、
そう思うと、同じ大震災として一緒にしていました。。。
反省するとともにもう一度自分の家を見なおしてみます。
by リン (2012-01-13 06:49) 

zak

この季節を迎えると
必ず阪神大震災を思い出します。
あの時の体験は二度と消えないでしょうね。
by zak (2012-01-14 19:12) 

お水番

kawasemi さん、リンさん、zak さん、コメントありがとうございます。
年月がたっても忘れてはならないことですね。
by お水番 (2012-02-03 00:22) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。